福幸応援お買い物ツアー 終了! NEW
2015.5.23~24の2日間に渡り、盛岡⇒大槌町⇒釜石市⇒大船渡市⇒陸前高田市を視察。総勢30名でのバスツアーは、大変有意義なものとなりました。
①大槌町私立みどり幼稚園
視察
昨年10月に移転・新築されたみどり幼稚園は、震災時津波が入り、当時の理事長ご夫妻は今も行方不明のまま・・・現在は息子さんが理事長となり、仮設園舎を経ての新築となりました。
新園舎は園庭も広く、可愛い遊具が沢山!高台にあるため、津波の心配もありません。子供達が安全でいられる場所にいるのは、保護者にとっても安心な事。ここからいっぱいの笑顔が生まれることを祈ります。
その後は支援先の、通所作業所「わらび学園」さんを車窓から見学。震災後、食器乾燥機を寄贈した施設で、その後も販売機会のご提供など交流が続いています。
②三陸鉄道南リアス線乗車
釜石駅⇒盛(さかり)駅
「震災学習列車」として、三鉄の職員・熊谷さんが同乗してくださいました。
大船渡・盛駅までの70分。場所場所に停車・徐行して津波が来た時の状況等を説明してくださいました。
綾里(りょうり)駅では、小学生が高台にあるホームに避難したものの、あまりの津波の大きさに、更にホームの下の小さな隙間から裏山に逃げたことなど、これまで知る事のなかった避難状況を知る事が出来ました。
被災後いち早くホタテの養殖を再開する!と宣言したブランド「恋し浜ホタテ」で有名な恋し浜駅では、記念に大阪パイロットクラブの皆様に、ホタテの貝殻に願い事を書いて頂きました。
③大船渡市博物館
被災状況写真展
「大船渡の1000時間」
3月11日の津波襲来からの大船渡の状況を時間ごとに写真で展示。職員の方の説明を聞きながら、改めて被害の大きさを感じました。
そしてその中の1枚がこれです。
実はこの写真の彼は、現在盛岡PC会員のお店で働いているシェフ。
あの津波の後、お子さんがいる保育園まで山を越え会いに行き、その後安否不明だった奥さんが無事だと確認できたその時の笑顔です。
「沢山ある写真の中で、笑顔が写っている写真はこの1枚しかないんです」という職員の方の言葉が、当時の状況を物語っていると感じました。
この日は、碁石海岸レストハウスにてお買い物で復興を応援しました!
④大船渡東高校
太鼓部演奏・寄贈
ご縁があって、歓迎の太鼓をご披露いただいた大船渡東高校の太鼓部の皆さんです。
遠征費などの足しにして下さいと10万円を寄贈させていただきました。
8名の息の合った太鼓演奏は素晴らしく、拍手が鳴りやみませんでした。
宿泊先の大船渡温泉を出発。
⑤おさかなセンターでお買い物
お買い物も立派な応援!皆さん大きな紙袋に海産物やお菓子などを買い込んでいました。
⑥陸前高田市 語り部ツアー
語り部ガイドは、観光物産協会副会長の實吉(みよし)さん。
津波から逃げるには何が大切なのか?どこにどうやって逃げればいいのか?今後の街づくり等々、「今ここにいる人」でなければわからない大切な話を、沢山してくださいました。
7万本あったと言われる松林が、たった1本を残して消滅した高田松原。その松林のすぐ近くにあるのがタピックです。
この辺りは17mの津波が襲い、21mあるこの道の駅も一番上まで水の壁が押し寄せました。
建物の反対側が津波避難用に階段状になっていて、3人が奇跡的に助かりましたが、道の駅の中に何人いたかわからない人達は、多分助からなかっただろうとのことでした。
車窓からの景色は、ここに町があったとはわからないほど荒涼としたものです。
ここが整備され、人が戻り、町が形成されるまでは「復興」とは言えない・・・そんな風に思いました。
實吉さんと別れ、一本松茶屋にてお買い物。沿岸の物を買うのも支援の一つです!
⑦陸前高田市役所
表敬訪問と寄贈
被災後高台へ移転したホテル1000で昼食を取った後は、陸前高田市仮庁舎を訪問。
陸前高田市 戸羽太市長様へ50万円を寄贈いたしました。そのうち5万円は、日本ディストリクトの皆様からのご支援です。
「障がいのある方の施設建設にかかる費用としてお使いください」と、村田会長から。
戸羽市長は「ご支援も嬉しいが、お金ではなくても、被災地を思い、応援してくれる事が一番嬉しい」と。そして、陸前高田市が目指すノーマライゼーションについて語ってくださいました。
ここですべての行程が終了。盛岡へ向かいました。
2日間、時間的にはあまり余裕がありませんでしたが、今だからわかる被災地の状況や、知らなかった当時の話など、得るものの多いツアーでした。
この度のツアーでは、大阪パイロットからお2人・東京からお2人・盛岡会員ご友人が3人・会員家族4人のご参加ご協力を頂きましたことに、心より感謝申し上げます。
また、ご参加以外の方からもご支援を賜りましたこと、東武トップツアー塩澤様にも厚く御礼申し上げます。
私達の出来る事は小さなことですが、継続して被災地を思い、応援する心を持ち続けたいと思いながら帰ってまいりました。